めしばな編集長まいける
〜闘争の金沢カレー 第3章・チャンカレの謎と闇〜
※今回は第2章に続き、調査報告書のため、一人称を「私」でお送りします。今回も長編読物です。
前回記事はこちら。
起源説

<出典:チャンピオンカレーFacebookより>
起源説を好む人達がいる。それは金沢カレーも同様で、この手の論争がネット上では盛んに行われている。
「金沢カレー」という名称も、当時は存在しなかった。レストランニューカナザワで提供していたカレーが大変好評を博していた。それが後々チーフコック達が独立して『金沢カレー』と名付けられ、人々に定着していった。その名前を使って、単なる料理屋ではなくビジネスとしてFC展開までしている。
一体このカレーの考案者は誰なのか。
起源としてはやはり、あの5人衆ということになるのだろう。しかし、当時の5人の力関係で考えると、起源説をあえて言うならその当時のチーフコックだったカレーのチャンピオンの創業者田中吉和さんとその片腕のキッチンユキの創業者宮島幸雄さんが考案したということで良いと思う。洋食部門のチーフとNo.2が一緒に作り上げたということで合点がいく。
(以下敬意を表し、「チャンピオン田中」と「ユキ宮島」)
前回、あまりチャンピオン田中には触れてこなかった。この方、実に不思議な経歴である。チャンピオン田中の経歴に触れていくと、チャンピオンカレーのある謎に行き着くのだ。
-まいける考察メモ①-
・カレーの考案者は、チャンピオン田中とユキ宮島っぽい。
・ネット上では、起源に関する論争が勃発していた。何故なのか。
チャンピオン田中の生い立ち
チャンピオン田中の生い立ちを知りたかった私は、方々をググりまくり、あるサイトのページに行き着いた。それは、現在のチャンピオンカレーのホームページではなく、中国語版のチャンピオンカレーのサイトである。
冠军咖喱是日本石川县具有历史代表性的咖喱专门店|冠军咖喱的历史
ここにチャンピオン田中生い立ちが書かれていた。
以下に抜粋、翻訳してご紹介する。
田中吉和

<チャンピオンカレー中国語サイトより>
昭和 6年:石川県山中温泉の著名な料亭の家に生まれる。
昭和26年:西洋料理の一流コックになるために東京の新橋で修行を始める。
昭和31年:新橋で修行を終え、石川県の商工会議所別館の繊維会館にて料理長となる。
昭和36年:とんかつカレーライスを看板として、洋食タナカを創業する。
石川県商工会議所のくだりがよく分からないが、要するにこれがニューカナザワのことなのだろうか。
元々実家が料亭の家だったチャンピオン田中。ニューカナザワで洋食部門のチーフだったチャンピオン田中は、昭和36年に『洋食タナカ』を創業し、独立を果たす。当時から「とんかつカレーライス」を看板商品として掲げ、この他にも洋食を取り扱う店として、日夜忙しく働いていた。いつしか店名は『カレーライスのタナカ』となり、その後、昭和43年頃には、カレー専門店に落ち着いたようだ。
-まいける考察メモ②-
・チャンピオン田中の店は洋食屋としてスタートし、その後カレー専門店となった。
ターバンカレー起業

<ターバンカレーホームページより>
金沢カレーの代表的な店にはターバンカレーという店が存在する。
地元民の認知度も非常に高いこのお店。「元祖金沢カレー」といえば、ターバンカレーの名前が出てくるともあるほどだ。実はこのお店、出来たのはアルバカレーと同じ昭和46年に創業している。現在も地元密着のカレー屋さんとして、存在している。
このターバンカレー一体誰が創業したのか調べていくと、とんでもないことがわかった。
創業者は、田中吉和、岡田隆とあるのだ。
そう。
ターバンカレーの創始者は、チャンピオンカレーの創始者チャンピオン田中だったのだ!
ターバンカレーもチャンピオンカレーも、金沢カレーの代表的な人気店として、現在も存在する。これは一体どういうことなのか。チャンピオン田中の経歴を見ていくと、ある不思議な事実に遭遇した。
以下、ややこしい話が続くので、ふんふんと適当に読み進めて頂きたい。
『カレーライスの田中』に店名を変更し、カレー専門店に落ち着いたチャンピオン田中の店。いつその店名が『チャンピオンカレー』になるのかと思っていたら、その3年後の昭和46年に株式会社ターバンを設立し、カレーショップ『ターバン』片町店を創業する。チャンピオン田中は株式会社ターバンの取締役となり、その会社の代表取締役に岡田隆という人物がついている。
『カレー専門店タナカ』はどうなったかというと、カレーショップ『ターバン』高岡町店と改名する。
私は非常に困惑した。さらに資料を読み進めていく。すると、不可解な事実が判明する。
会社登記上の本店は、その時点で『ターバン』高岡町店の所在地になっていたみたいだが、その2年後の昭和48年12月に『ターバン』片町店に本社を移転している。
そして、チャンピオン田中はその移転に先立ち、なんと株式会社ターバンの取締役を辞任している。そしてその約4ヶ月後の昭和49年の3月、金沢工業大学の近くの野々市市高橋町周辺に店を移転し、『タナカのターバン』を開業しているのだ。昭和52年には、金沢市横川にターバン調理センターを開設する。昭和63年、野々市の店舗の並びにターバンカレー工場を開設。平成3年には会社として、『有限会社ターバンカレー工場』を設立。
タナカのターバンは移転等で事業拡大。平成8年に社名を『有限会社チャンピオンカレー工場』に変更。この頃、店名も『カレーのチャンピオン』に改名。現在の形に落ち着いている。
現在の形に落ち着いている。
つまり、、、
『洋食タナカ』→『カレーライスのタナカ』→『ターバンカレー』→『タナカのターバン』→『カレーのチャンピオン』
となっている。
そして、チャンピオン田中が辞任したあとの、『ターバン』片町店のほうはどうなったかというと、平成4年に『ターバン』の名称を商標登録出願し、平成8年に登録される。一時はFC展開を広く行うなどしていたものの、いつしか経営は悪化し、平成17年、株式会社ターバンは解散を議決する。その後は清算会社として存続。平成18年に新会社法適用の会社とし て登記され、債務の清算が完了し、現在は通常営業に戻っている。現在は、創業者岡田隆が亡くなり、その妻と娘で味を守り続け、経営を黒字化に成功している。
カオス。
つまり、まとめると、同時期に別の会社として、ターバンカレーが存在していたということになるのだ。
-まいける考察メモ③-
・金沢には、もう一つ代表的な金沢カレーの店、『ターバンカレー』が古くから存在する。
・『チャンピオンカレー』を作る前に、チャンピオン田中は『ターバンカレー』を創業していた。
・『ターバンカレー』の創業者は、もう一人、岡田隆という人物がいた。
・チャンピオン田中は、『ターバンカレー』を辞任して、『タナカのターバン』を作った。
・つまり、同時期に『ターバン』が二つあった。
金沢カレーの光と闇
実にカオスな状況であることがわかった。ここまで辛抱強く読んで頂いた方は、で、つまりどういうこと?となってると思う。ネット上には上記のような年表しか存在しない。
そんな状態なので、自分も苦労した。一度読んでも、多分理解不能だと思うので、なるべくわかりやすくまとめてみたいと思う。
以下、私の想像でターバンが二つ出来た経緯を書いてみる。ある程度事実に即した上で、でもあくまで想像で書いてみよう。
①事業展開
『カレーライスのタナカ』で繁盛して、意気揚々の田中吉和さん。
チャンピオンカレーの創始者なので、「チャンピオン田中」とする。
そんなチャンピオン田中の店にはある常連がいた。その名も銀行員岡田隆。
この岡田隆さんを、「銀行員岡田」とする。
チャンピオン田中の店に、足繁く通う銀行員岡田。
銀行員岡田は、この美味しいカレーが大好きだった。通い詰めるうちに、チャンピオン田中とも仲良くなる。銀行員岡田はカレーの世界にのめり込み、自分で店をやってみたくなっていく。しかし、銀行員の自分は経営がわかっていても、調理経験がない。
そこで、チャンピオン田中に声をかけた。
「一緒にカレーの店やらへんか?」と。
チャンピオン田中もある野望があった。自分の店をもっと大きくしたい。事業展開を拡大させていきたい。しかし、自分は調理が出来ても、経営は分からない。そこで銀行員岡田に声をかけられる。自分が持たない知識を持つ銀行員岡田の提案は、チャンピオン田中にとってタイミングが良いものだった。この知識があれば、事業拡大が出来る!
そこで、二人は結託して新しく事業展開を画策する。
かくして、チャンピオン田中と、銀行員岡田の共同によって、『株式会社ターバンカレー』ができる。銀行員岡田は代表取締役として経営面を、チャンピオン田中は取締役として調理面を担当することになった。
しかし、ここである問題が起こる。会社は出来たものの、チャンピオン田中は自分の店は、自分の店で続けたかった。一方の銀行員岡田もまた自分の店を持ちたかった。
そこで、チャンピオン田中が元々持っていた店を『ターバン高岡町店』、銀行員岡田が新しく作った店を『ターバン片町店』として、2店舗での経営をスタートさせるのだ。2店舗に分けたことが、後の結末のきっかけになるとは、その時は誰も思わなかった。
②亀裂
その後、『ターバンカレー』は順調に経営を続けていく。その行き先は順風満帆に見えた。
しかし、元来職人気質のチャンピオン田中と、商売気質の銀行員岡田は合わなかった。次第に店の運営の仕方で亀裂が生じていく。チャンピオン田中が自分のカレーと向き合って店に立ち続けたのに対し、銀行員岡田は店舗の運営は妻に任せ、自分は事業拡大に邁進した。そのやり方が合わなかったのだろう。
結果としては、チャンピオン田中が『株式会社ターバン』を出て行く形となって、その亀裂は顕在化した。その後、銀行員岡田は自分の妻を取締役とする。
しかし、チャンピオン田中の目標はあくまで自分のカレーを完成させること。日夜時間をいとわず打ち込んできたカレーの研究。チャンピオン田中は、『ターバン』のカレーは俺が作ったカレーだという自負があった。
そこで次の手を打つ。金沢市の隣の街である、野々市市で別の店を作ってしまう。
その名も『タナカのターバン』。
この流れを考えると、『タナカのターバン』という店舗名に、チャンピオン田中の自己主張を感じるのは私だけでしょうか・・・
かくして、『ターバン』という名前のカレー屋が二つ出来てしまうことになるのだ。
③泥沼
チャンピオン田中が新しく作った『ターバン』と、銀行員岡田の『ターバン』。
この奇妙な状況は当時の金沢民の間では、話題となっていたようだ。どうやらケンカ別れしたらしいのではともっぱらの噂になっていた。
チャンピオン田中は、やはり一流のカレー職人だった。チャンピオン田中が作った『タナカのターバン』はすぐに人気店となる。『有限会社ターバンカレー工場』として会社も設立し事業展開はうまくいっていた。
面白くないのは、銀行員岡田。チャンピオン田中がいなくなり、カレーの試行錯誤の日々。しかし、調理面で経験が不足する銀行員岡田。『タナカのターバン』にも客を取られる状況に。
銀行員岡田からすれば、元はと言えば会社を先に抜けたのはチャンピオン田中のはず。自分が経営面で『ターバンカレー』の名前を広げたのに、抜けた人間が勝手に隣町に『ターバン』の名を騙って店を構えただけだ。これは何とかせねば。
そこで、銀行員岡田は『ターバン』の名前を名乗るは俺の店だと言わんばかりに、平成4年、『ターバン』の名前を商標登録に出願する。
実はこの出願から、正式に登録されるまでに4年もかかっている。この4年の間に何が起こっていたのか。この商標登録騒動を巡り、裁判沙汰になったとかいう話もあるが、真偽のほどは不明である。しかし、4年も時間がかかったことは、事実。
当時の騒動は、金沢民の間では、マスコミを通じて様々な憶測が流れていた。それもまた事実である。
結局『ターバン』は商標登録される。
その後チャンピオン田中は『タナカのターバン』を『カレーのチャンピオン』に改名する。会社名も『有限会社チャンピオンカレー工場』に変更する。
かくして、この騒動に終止符が打たれることになるのだ。
※以上は、個人の調査から想像したものです。
-まいける考察メモ④-
・金沢民の中ではお家騒動として、当時から有名な話だったらしい。
金沢カレー、全国区へ
その後の展開は、前項で書いた通り。チャンピオンカレーがFC展開で日本全国に進出する中、ターバンカレーは没落していく。が、現在は先代の銀行員岡田の味を妻と娘の二人で現在の広坂の場所で店を守り続けている。
このカレーだが、本当に美味しいカレーで、味も見た目もチャンピオンカレーとは異なるものだ。本当に一緒にやっていたことがあったのか疑いたくなるほど。
チャンピオン田中が自分流のカレーを作り上げ、銀行員岡田もまた、自分のカレーを作り上げたのだ。銀行員岡田は奥さんの協力も相当のものだったとか。
いずれにせよ、チャンピオンカレーとターバンカレーという二つの素晴らしい金沢カレーの店が、現在も残っている。これは素晴らしいことだ。
そして金沢カレーは、ターバンカレーで修行をした人物が、金沢カレーブームの火付け役を名乗り、『ゴーゴーカレー』を東京の新宿に創業をしたことで、一気に全国区へと上り詰めていく。現在は、様々な店舗から枝分かれし、現在の形に落ち着いた次第である。
それが、第2章でお伝えしたこの系譜という言うわけだ。

-まいける考察メモ⑤-
・『チャンピオンカレー』と、『ターバンカレー』は現在は全く違うカレーである。
・『ゴーゴーカレー』が東京の新宿に創業し、金沢カレーを全国区へ押し上げた。
調査編総論
「起源説を好む人達がいる。」
冒頭でこの言葉を使わせて頂いた。どういうことかというと、ターバン派とチャンピオン派の2派に分かれて、正統な源流はどちらかという論争がネット上で起こっているということ。また、「金沢カレーとはこうあるべし」という論調もよく見られる。
ここまで来るともう何がなんだかわらないし、事実がどちらかとかどっちが正しいかなんて言えない。
奇しくも、私が金沢カレーに興味を抱いたのはこれがきっかけで、闇の深さに気づいてしまったからだったわけだが。
色々調べていくうちに、色々な人が関わっていることがわかったし、その店が現在も全て存続している。これは大変にすごいことではないだろうか。
でも、元々は同じ店だったのだ。だから、起源説はひとまずこれで終了。金沢カレーも、コックが独立して、それぞれが努力して自分のカレーにしていったわけだ。よって、この議論も無意味。
それより、どのように違うのかということに今後は注目していきたい。
一つ言えることは、金沢カレーというものが非常に可能性をもった魅力的なものであったということだ。
ここまで男達が真剣にやり合って、金沢カレーを使ってビジネス展開を考えていた。
元は一つの洋食屋から始まった一つのカレーが、ここまで大きく色んな人々を巻き込んでいったことは、中々凄い話だ。それもこの金沢で。
金沢カレーを作り上げ、ブランド化していったその努力に私は敬意を表したい。
近年のラーメンブームと、ご当地ブーム。このブームのポイントは、マーケティングとブランディング。これに尽きるように感じる。でも元々は、各個人の店舗から端を発しているはずである。
これらのブームが起こる何年も前に、東京でも大阪でもなく、この北陸の地で、金沢カレーという概念がその先駆けとして登場した。
もちろん火をつけたのは、新宿だったかもしれないが。
この一大ムーブメントを起こした。それだけですごいじゃないか。
以上、金沢カレー概要論を終了させて頂くが、最後に一つ宣言をさせて欲しい。
はらもじゃぱんは、勝手に金沢カレーを応援させて頂きます。
以上!
-まいけるまとめ-
・起源説など不要だ。
・男達の不屈の努力が確かにそこにはあった。
・はらもじゃぱんは、金沢カレーを応援します。
次回
はい!ということで改めまして、編集長のまいけるです。最後まで読んで頂いたかはわかりませんが、読んで頂いた方、本当にありがとうございます!
なんとか概要論が終了しました。いやー、しんどかった。完全に編集長の趣味ですわこんなもん。本当、すみませんね!
概要なんくだらないことは置いといて、さっさと店のレビューしろって?
ええ!しますとも!(満面の笑み)
ということで、次回より、各店舗のレポを編集長が昼の時間を使って調査していきます!
毎日通いました!
胃もたれとカロリーとの戦いが確かにそこにあった。。。(遠い目)
乞うご期待!
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序章、第2章はこちら。
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